ドイツ新聞読みこなし ゲッベルスの秘書を務めていた女性

1945年4月30日にアドルフ・ヒトラーが自決し、第二次世界大戦が終結してから今年で72年です。
たとえ当時ナチスのために働いていても、終戦後に残党とはみなされず一般人になった方々も大勢います。

第二次世界大戦当時、ヒトラーの腹心であった宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めていたブリュンヒルデ・ポムゼルさんが106歳で亡くなりました。

SPIEGEL Online 2017年1月30日の記事より

http://www.spiegel.de/politik/ausland/brundhilde-pomsel-ehemalige-sekretaerin-von-joseph-goebbels-gestorben-a-1132267.html

Brunhilde Pomsel Goebbels’ Sekretärin gestorben

Bis zum Ende des Nationalsozialismus arbeitete Brunhilde Pomsel direkt für Propagandaminister Joseph Goebbels, vom Holocaust will sie nichts mitbekommen haben. Nun ist die 106-Jährige laut AP gestorben.

Die ehemalige Sekretärin des NS-Propagandaministers Joseph Goebbels ist tot. Brunhilde Pomsel starb nach Angaben der Nachrichtenagentur AP vergangene Woche in einem Altersheim bei München. Sie wurde 106 Jahre alt.

Pomsel hatte von 1942 bis zum Ende des Nationalsozialismus im “Reichsministerium für Volksaufklärung und Propagandaals eine der bis zu sechs Vorzimmerdamen von Goebbels und dessen Staatssekretär gearbeitet. Laut “Süddeutscher Zeitung” gehörte sie zum “engsten Zirkel um Hitlers Hetzer”. 2011 wurde ihre Geschichte in dem Film “Ein deutsches Leben” dokumentiert. Der Regisseur des Films, Christian Kroenes, habe den Tod Pomsels bestätigt, so AP.

In dem Dokumentarfilm behauptet sie, nichts vom Massenmord an sechs Millionen Juden gewusst zu haben. “Nichts haben wir gewusst, es ist alles schön verschwiegen worden, und das hat funktioniert”, sagt sie. “Ich könnte keinen Widerstand leisten“, sagt Goebbels’ Sekretärin im Film, “ich bin zu feige.” Für sie seien Job und Wohlstand vorgegangen, außerdem habe sie dazugehören wollen. Pomsel trat bereits 1933 in die NSDAP ein.

Nach Kriegsende war Pomsel fünf Jahre in sowjetischer Gefangenschaft. Danach fing sie beim Südwestfunk an und arbeitete später als Chefsekretärin des ersten ARD-Koordinators Lothar Hartmann.

 

【日本語訳】

ゲッベルスの秘書、ブリュンヒルデ・ポムゼルさんが逝去

 

ブリュンヒルデ・ポムゼルさんはホロコーストには一切関与しようとせず、ナチズムの終焉まで宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスの下で直々に勤務していました。AP通信によると、106歳で亡くなりました。

 

かつてナチス宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルズの秘書だった方が亡くなりました。

AP通信の報道によると、ブリュンヒルデ・ポムゼルさんは先週、ミュンヘン近郊のとある老人ホームで亡くなったとのことです。106歳でした。

 

ポムゼルさんは1942年からナチス終焉まで、「国民啓蒙・宣伝相」において6人いたゲッベルスの世話係の一人として、また国家秘書として勤務していました。南ドイツ新聞によれば、彼女は「ヒットラーの扇動者に最も近い環境」に属していたとのことです。

2011年には、彼女のドキュメンタリー映画「Ein deutsches Leben」が公開されました。

AP通信によると、その映画監督だったクリスティアン・クローネスが彼女の逝去を確認したとのことです。

 

ドキュメント映画の中で彼女は、600万人の大量殺戮について何も知らなかったと主張しています。「私たちは何も知りませんでした。すべてが素晴らしいほどに口外禁止にされており、それが機能していたのです」

「私は全く抵抗することもできませんでした」とゲッベルスの秘書は映画の中で言います。

「私はとても臆病者でした」

彼女にとって仕事ならびに裕福さが優先しており、それ(ナチスにはいたものの、仕事がある状況)に属していたかったのです。

ポムゼルさんはすでに1933年、ナチス党の党員となっています。終戦後、ポムゼルさんは5年間、ソ連の捕虜となっていました。その後南西放送局で働き始め、後には最初のARD放送の番組調整を担当していたローター・ハートマン氏の秘書長を務めていました。

 

【読み方のポイント】

  • r/Nationalsozialismus ナチス主義
    通称「ナチズム」
  • Propaganadaminister Joseph Goebbels 宣伝相 ヨーゼフ・ゲッベルス(1897-1945)

    「プロパガンダの天才」と言われ、またヒトラーの忠実な腹心としてナチス党の宣伝において卓越した手腕を発揮した。

  • von mitbekommen ~に関与する
  • Reichsministerium für Volksaufklärung
    und Propaganda
    国民啓蒙・宣伝相
  • als eine der bis zu sechs Vorzimmerdamen 6人までいた世話係のうちのひとりとしてVorzimmerとはその組織の長の部屋の前などにある執務室などのことですが、Vorzimmerdamenはシェフの身の周りの世話や買い出し、秘書など総務的な仕事をしていた女性たちのことと考えられます
  • Süddeutsche Zeitung 南ドイツ新聞

    ミュンヘンに本社。発行部数およそ37万部

  • engsten Zirkel 身近な環境

    Zirkelは「サークル」の意味があるが、訳すには意味がわかりにくなるので、「身近な環境」とした。いわば「ほぼ側近」だったと言える。

  • der Regisseur des Films 映画の監督
  • verschwiegen worden 黙らされていた

    本文では「口外禁止にされていた」としました

  • Wiederstand leisten 抵抗する
  • zu feige 臆病者だった

    zu が形容詞の前につくと強調して「~すぎる」となりますが、マイナスイメージがあります。

    「寒すぎる」zu kalt  「(値段が)高すぎる」zu teuer

  • vorgehen 優先する
  • die NSDAP die Nationalsozialistische Deutsche Arbeitspartei

    国家社会主義ドイツ労働党 つまりナチ党の正式名称

  • in sowjetischer Gefangenschaft ソ連の捕虜、ソ連に捕らえられていた
    裁判をするために捕らえられていたのか、労働のための捕虜として拘留されていたかは不明